クラファン文章
徳島県徳島市にある秋葉神社は
今、危機的状態にあります。
このように屋根が壊れ、本体が傾き、「神社」とは言えないほどボロボロになってしまっています。
はじめに
今、神社は衰退の一途をたどっています。
日本には神社が8万1000ありますが、20年後までに全国の4割が無くなると言われています。
3万1000もの神社が20年後には消滅してしまうのです。
神社とは、日本固有の宗教である“神道”の信仰に基づく祭祀施設です。
つまり、神社は日本文化の根源、日本人としての誇りを象徴するものなのです。
そんな日本人にとって大切な伝統文化である神社が今、すごい勢いで消滅して行っています。
今、動かないと私たちは日本文化を見殺しすることになります。
先人たちが大事に守り抜いてきた形を、私たちで壊してしまうことになります。
だからこそ、我々は
日本神社再生機構を立ち上げました。
その名の通り、「伝統的な日本文化の根幹である神社を守り抜くため」に発足した一般社団法人です。
この挑戦は、私たちの大切な文化、伝統的な日本文化を守り、継承していく第一歩となります。
今までの活動
延喜式内社・多祁御奈刀弥神社
御簾、御帳を奉納
大正6年に奉納されてから100年変わらずにボロボロだった御簾、御幌を新しいものに取り替えました。
御簾、御帳とは、この扉を開けた先にある、神の御神体があるところ。
本来は下の画像のような綺麗な「すだれ」です。
出展:http://minzoku.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=1887756&csid=3
それが
こんなにも汚く、ボロボロになってしまいました。
延喜式(えんぎしき)は、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、弘仁格式・貞観格式に並ぶ三代格式の一つです。
なので、朝廷から貢物が届くような格式の高い神社です。
そんな神社の
延喜式内社・大御和神社
御帳奉納
40年変わっていなかった。
延喜式内社は40年変わっていなかった
延喜式内社・大御和神社
提灯奉納
ボロボロになってしまった
秋葉神社の神棚を建て直したい
今回、私たちが再生させたい神社は秋葉神社です。
和銅2年(西暦709年)に創建された秋葉神社は徳島県徳島市にある神社で、 『秋葉原』の名前の起源ともなった神社です。
秋葉神社の主祭神は『火の神 火之迦具土大神』で、その名の通り「火を司る神様」です。
HPを見ると
1 火に関するもの、防火、防災
2 印刷・コンピュータ関係
3 商売繁昌
4 恋愛、結婚、縁結び
などにご利益があると掲載されていますが、効果は他にもあります。
ダイエットです。
そう、つまり、脂肪を燃焼してくれる神様という存在でもあります。
そんな1300年以上も歴史があり、ご利益のある神様を祀る神棚が
このように悲惨な状況になってしまっています。
年々、老朽化が進み、形が崩れてしまっているのです。
横から見ると、こんなにも傾いているのが分かります。
支えるのが精一杯で、今にも崩壊しそうな状態です。
こんな状態では神様も嬉しい気持ちにはなりません。
私たちは実際に生でこの光景を目にした時、衝撃を受けました。
非常にショックを受けました。
「なんとかして助けないと」
「このまま野放しにするなんてできない」
と強く思いました。
それが今回このようなプロジェクトを立ち上げた理由です。
そもそも、なぜ、このような状態になるまで放置されてしまったのでしょうか?
神社が抱える大きな問題
日本文化の根源、日本人としての誇りを象徴するものである神社には、ある大きな問題があります。
それは
・氏子の高齢化
・地元民の神社離れ
この2つです。
氏子の高齢化
自らが住んでいる地域の神様を氏神様(うじがみさま)といい、周辺地域に住んでいる方を氏子(うじこ)といいます。
特に地方では、人口減少や高齢化により、氏子さんの数が年々減り続けています。
どこの氏子も70歳〜90歳の人で構成されているのです。
60代だと「若いね」と言われる世界です。
1000年以上続いた神社も氏子の減少・高齢化により引き継ぐ人がいない、守る人がいないためにどんどん衰退していっています。
冒頭でもお伝えしましたが、20年後までに全国の4割、3万1000もの神社が消滅すると言われています。
秋葉神社も、その中の1つです。
地元民の神社離れ
かつて神社は、日本人の生活の一部にありました。
例えば、昔は地域単位でお祭りが行われており、小学校や中学校はお祭りの日が休日になっていました。
もしくは午前中だけ授業を受けて、午後は「今日はお祭りだからみんな帰りなさい」と言われて全員帰らされていました。
どの学校もそうでした。
お母さんたちは祭りのために料理を作ったり、おにぎりを握ったりしていました。
お父さんたちは神輿を担いだり、祭りの準備をしていました。
お父さんも、お母さんも、子供も、おじいちゃんも、おばあちゃんも全員お祭りのため神社に集まっていました。
強制とか義務とかではなく、当たり前のように村人たちがみんなで神社に集まって祭りをしていました。
そうなると、村の人たちは
「神社が最近ボロボロになってきたな」
「そろそろ新しいのに変えた方がいいかな」
ということに関心を持つようになります。
だから昔は、村の人たちが全員で力を合わせて補修したり、建て直したりして神社を守ってきました。
今から40年、50年前までの日本にはそんな地域がたくさんありました。
ところが・・・
戦後、GHQは日本政府に対して、神道指令を出しました。
これは国家と神社神道との完全な分離、学校・役場などからの神棚等の撤去といった指示です。
これにより、昔は
「今日はお祭りだよ」
と学校の先生が言っていましたが、それは言えなくなりました。
「お祭りの日に学校が休みとは何事だ」
となり、お祭りの日が休日じゃなくなりました。
さらには、居住地を自分で自由に決められるようになり、若い人が都心へ出て行くようになりました。
昔はその村に生まれたら、その村から出て行ってはいけませんでした。
だからその村の人たちで「この神社を守ろう」と協力し合っていました。
しかし、今は自由自在に住む場所を決められるようになりました。
若者が都心から離れて行くことで、伝統を受け継ぐ人がいなくなりました。
また、地元に残る若者も、かつては御輿を担いで祭りを盛り上げていましたが、夜遅くまでの仕事でお祭りに参加している場合ではなくなりました。
そして、神社に誰も関心を持たなくなりました。
神社との接点も急激に減っていき、結びつきが弱くなりました。
引っ越してきた人も
「氏子会?なにそれ?」
「神社って何であるの?」
「無くなればいいんじゃない?」
と思うようになりました。
神社は日本の文化の根幹部分なのに。
あなたの力を貸してください
私たちは、伝統的な日本文化の根幹である神社を守り抜くために日本神社再生機構を立ち上げました。
でも、私たちだけじゃ力不足です。
できることに限界があります。
なので、あなたの力を貸してください。
ここまでしっかりと、このお手紙を読んで頂いたあなたは、きっと何かしら感じるものがあったのだと思います。
その気持ちを、少しだけ
お気持ちで構いません。
実施スケジュール
返礼品
ダイエットグッズ×秋葉神社の何か
徳島の秘境巡りツアー(旅行会社や旅行ブックでは教えてもらえない、徳島の秘境を案内します
完成イメージ
100万円集まるとこうなります。